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移さして貰いました。

 投稿者:H Kunitsuguメール  投稿日:2005年 8月 9日(火)16時34分24秒
  この掲示板でいいのでしょうか  投稿者: 八代新一  投稿日: 8月 9日(火)15時39分48秒
阿多隼人の末裔を自認する者です。国次様が大きく関心を抱いていられる「古代熱海の歴史」は
小生も追いかけているところで、この間の「真鶴港」の「(きふね)貴舟」転覆の事件も、
出雲の美保神社で執り行われ、記・紀に記される「青柴垣神事」で、元々、舟は転覆させるのが
正しい祭のありようだったと思った次第でした。
 それと、全国的な「阿多の地名分布図」のことは、小生のホームページでも参考資料として
取り上げさせていただきましたが、その件お許しください。
 このような国次様の「地歴関連のホーム掲示板」が別にございましたらご紹介ください。
http://www4.synapse.ne.jp/yatusiro

http://www.izu.biz/pro-tecs/

 
 

諸々・・・・・。

 投稿者:H Kunitsuguメール  投稿日:2005年 8月 8日(月)16時48分45秒
  watanabeさん こだいファンさん こんちです(^^) 兎に角、暑いですね~(^_^;)

大三島との直線状での結び付きは少し・・・難しい様な~!?

初島の初木神社は蝦夷東征の折、鹿島明神へ船で渡る時、時化に遭って遭難し初島に漂着
してしまいます。暫くは初島に居ましたが、富士山手前の左側の尾根より下側海岸線
辺りにきらきらと光る地が有り、更に煙(薪又は湯の煙)の上がるのが見えた。初木姫は
初島に生えている萩の木を組んで網あげて簡便な船として向こう岸のその場所へと船出
した。渡り着くとそこは木々深い山で既にお社が建っていた。初木姫は海岸より山を登
って行くとお社傍で男性と逢ったが、この男性は伊豆山彦と名乗った。伊豆の山彦、伊都
の山彦、厳の山彦、井筒の山彦とも取れる名である? 初木姫は更に山を登ると、この世
の物では無く、嗅いだ事の無い気持ちの良い匂いを出す木の中から2人の男女の童子が
現れるが、初木姫は事を察知して乳母としてこの2人を育てる事とした。この2人が成人
し結婚して伊豆山の里人の祖となった・・・・。

多少は美化していますが、ここでの伊豆山彦は一度しか姿を現しませんし、臣鹿島の系統
である初木姫に逢い、童子の乳母となる過程にも伊豆山と鹿島の立場関係を表すかも
知れません。

http://www.izu.biz/pro-tecs/

 

勝浦~大三島

 投稿者:watanabe  投稿日:2005年 8月 7日(日)22時27分19秒
  こだいファン へ
説明不足でした。一直線にはならないです。熱海の海中にある方位盤で結ぶと少しL型になります。
瀬戸内海から熱海まで、主要な神社が線のまわりに点在しているので何か発見できればいいのかと思いまして。
関東、伊豆七島、静岡の神社を線で結ぶと何かの形になるのか、最近は方角が気になって
何か出てくれば面白いのですが、なかなか困難です。

初島に土曜日いきました。初木神社の初木姫が伊豆権現の始まりのようですが、九州ルートと瀬戸内海ルートの二つがあるのではないかと。やっぱり難しいです。
 

勝浦~大三島

 投稿者:こだいファン  投稿日:2005年 8月 6日(土)23時56分42秒
  watanabeさん、H Kunitsuguさん、瀬戸内海の大三島から勝浦までつながるのでしょうか?
最近ラッキーなことに、地図ソフトが手に入りましてぇ('v')/
色々試してみたのですけど、
大三島と伊豆の広瀬神社を結んでみますと、勝浦の北側を通りました。
(画像をアップしてみます)
ちょっと、ポイントが見つからなかったのですけど、
どこらあたりを探したらイイのか、リクエストありましたら調べてみまーす (゚J゚)ノ
 

watanabeさん こんち(^^)

 投稿者:H Kunitsuguメール  投稿日:2005年 8月 3日(水)17時14分12秒
  三重のポイントは遺跡っぽい見たいですがちょっとしか見えないのが残念です!
現地に行ってじっくり見るしか無いですね!!!

>日曜日に通りかかったのですが、三島大社の鳥居は熱海を向いているみたいです、
>瀬戸内海の大三島から勝浦まで、ほぼ直線でつながるので、秘密があるのかも?と思いま>す。
三島大社の鳥居ですか? 今度見に行って見ますね(^^)
伊豆山神社と三宅島、三島明神が最初に鎮座していたのが三宅島。
房総の勝浦が大三島と直線状だとすると、伊豆七島のどの辺りを交点とするのかな?
早速、しらべてみます。

http://www.izu.biz/pro-tecs/

 

三重、熊野ですが、

 投稿者:watanabe  投稿日:2005年 8月 2日(火)23時31分9秒
  三重のサービスの動画を見ましたのですが、ポイントはよく見ると遺跡のようです、石を切った跡がありました。解説ですと洞窟と水路のようなもののようです。
一度見に行かないと形がわかりませんが、面白そうです。
http://www.nemo-kumano.com/ ダウンロードに少々時間が掛かります。


日曜日に通りかかったのですが、三島大社の鳥居は熱海を向いているみたいです、
瀬戸内海の大三島から勝浦まで、ほぼ直線でつながるので、秘密があるのかも?と思います。
 

はじめまして★

 投稿者:こだいファン  投稿日:2005年 7月31日(日)19時33分36秒
  阿重霞さんはじめまして!
そちらのホームページは、ダイブ前から知っておりました (゚O゚)/
とにかく古代の話がみっちり詰まっていて凄いですね~
今は実質休会中(解散?)のHPですけど、
これをσ( ^^)作る時に、そちら様のホームページを知って圧倒されたのを憶えています。

古代文字にも関心があったのですけど、神代文字総覧のページはよく揃っていてたいしたものだと思ってました m(^-^)m
こちら伊豆では、明確な神代文字としては、軽野神社の十三字の神符(画像アップ)ぐらいしか見つけていなかったのですけど、
伊豆山神社の伊豆山神社御印影も神代文字でした。(画像アップします)
こちらの手元の資料で「ほむすひのみこと」と読まして頂ました。

國次さんもおっしゃってますけど、『伊豆山神(伊豆大神)はやはり只者では有りません』!
謎は深まるばかりです。
阿重霞さんほどσ( ^^)古代には詳しくないですけど(汗
ここ伊豆にも、隠された古代の真相が埋もれているに違いないと思ってます (^J^)/

阿重霞さんはじめ「超歴史研究会」の皆様も、奥様も、
日本の超古代の真相の復活に向けて、
これからもどんどんご活躍、ご発展くださーい p(゚v゚)q
 

宮崎ではお世話になりました(^^)

 投稿者:H Kunitsuguメール  投稿日:2005年 7月30日(土)20時00分40秒
  阿重霞 様

宮崎では毎日遅くまで飲めて、色々な持ち話を聞かせて頂き感動致しました。

奥様は「瀬織津姫」を調べているのですね! 楽しい限りです。
熱海の伊豆山神社は祭神としてもかなり権威の有る神としていますが火産霊神系の関係
だけははっきりしていますので調べがい有りますね。その中には瀬織津姫も入って
います、

リンクの件、有難う御座います。
今後とも宜しくお願い致します~。

http://www.izu.biz/pro-tecs/

 

お世話になりました

 投稿者:阿重霞メール  投稿日:2005年 7月30日(土)13時23分27秒
  先日は、宮崎でお世話になりました超歴研の広報担当 阿重霞(あえか)と申します。
その説は、興味深いお話をいろいろありがとうございました。
濃いメンメンが集って夜遅くまで語ったあの貴重な体験は今でも脳裏に焼きついております。(いやぁ、しかし皆様良く飲みましたね。^_^;)
また、國次様におかれましては、以後も精力的にご活躍されているご様子。
今後の展開が楽しみです。

過去LOGをざっと読ませて頂いたのですが、実は、私の家内が偶然にも「瀬織津姫」関連を追っかけておりまして、何かのご縁かなと思いまして…。

瀬織津姫 http://members.tripod.co.jp/sakura_i1211/

「エミシの~」の著書も薦められて読みましたがどうやら私には、石のほうが相性がいいようで…^_^;

当会からリンクを貼らせていただきました。
熱海でしたらまだ守備範囲ですのでまた、いずれお会いできることを楽しみに…。
それでは、今後もご教授のほどよろしくお願い申し上げます。

http://www.page.sannet.ne.jp/tsuzuki/index.html

 

台風一過はあち~ぃぃぃ(ーー;)

 投稿者:H Kunitsuguメール  投稿日:2005年 7月27日(水)15時08分22秒
  今日は暑いのと湿気の多さに耐え難いですね~。

奈良~平安時代の港湾の都市を語る時に必ず出て来るのが「吉士族」ですね~!
その繋がりをこの伊豆山の走湯山(伊豆山神社・般若院)は如実に地名として記録してます。調べれば調べる程に古代九州と古代東北の関係が浮かび上がり、わくわくしてます。
こだいファンさんが言う様に風琳堂さんは良く調べていますね~。その内容には驚きを隠しきれませんし、感心します。私も調べて行く内に瀬織津姫が浮かぶのですが、比定するには今暫く時間が要りますね。確かに瀬織津姫や天照大神、月読神、素盞鳴命の流れが浮かび皇統としての高御産巣日神、神産巣日神での日神として現れますので神社の格としては最高位に付くのですが・・・何が災いしているのか、良く良く調べたいですね。
蝦夷や隼人封じとなって行く伊豆山神(伊豆大神)はやはり只者では有りません。

この皇統としての不可欠は日神と月神ですが、今月の初めに海底で見つけましたから、急ぎ写真を撮り発表したいですね。

伊豆山神(伊豆大神)隼人系の南方の神々と朝鮮・中国・インド系の神々を融合させた、或いは手を結んだ神の可能性があります。

そうそう、何故か2チャンネルの内容を学識者が躊躇していますが、歴史系の学者では無いんですね~。心配しているのは考古学系の方々で、地質系の学者の方は5遺物を黙々と分析をしていますから心配はしていません。ただ、手付かずの郷土史はとことん調べないといけませんからね。その結果として、中世の大湊の大半を吉士族が協力して抑えていた事も大事な要素ですからね。古事記や日本書紀に見る吉士族の最初の帰化は神后天皇の時代で270年頃ですから、それ以前からの流入や同族とも見れます。つまり、新羅系と百済系であり、天孫族と言われる所以が此処に有りますが、この二つの系統に中国の黄帝・秦の始皇帝の流れが有れば納得しますね。この天孫族と隼人系大山祇と木花咲耶姫・磐長姫が繋がり阿多、阿蘇、阿波の部族が出たとすれば面白い展開です。

http://www.izu.biz/pro-tecs/

 

喜志、、、志波姫神社

 投稿者:こだいファン  投稿日:2005年 7月27日(水)13時38分28秒
  伊豆山の東側と東側の話面白かったです!
   坂の東側、東谷=坂東→「ばんどう」千葉一族
   坂の東側、坂西=岸谷、古名「喜志」→吉士一族(和田町)
海上交易の吉士一族と伊豆山のつながり、今宮戎神社など、
熱海の陥没前の様子を知る大きな手がかりでしょうか。
また今度、この話を進めて頂くと面白いかと思いました p(゚v゚)q

じゅんこさん、志波姫神社の近くを通ったのですね。
「名所旧跡案内」によりますと・・・
   → http://www.shiwahime.miyagi-fsci.or.jp/kankou/meisho.htm
「坂上田村麻呂東征の際、武運長久、五穀豊穣を祈願したと伝えられる。」そうですので、
志波城柵跡に行かれたのもピッタリだったようです (゚J゚)ノ
志波姫神社は國次さんがすでに調べられてますけど、元は伊豆野権現社だったのですね。
この花さくやひめを祭っているそうですけど・・・
ヤハリ!前にご紹介した(投稿日:6月23日)、風琳堂主人(ペンネーム:菊池展明)さんが、
かなり深く解明しているようで↓ 志波姫神社、瀬織津姫の考察は見事です。
   日高見川=北上川の水神
   http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/hidakami.html
基本的な話はこの本を読むと分かります
   エミシの国の女神 http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/emishi.html
東北も含めて、
隠されてしまった古代の復活が待ち遠しいものです (゚u゚)/
 

伊豆山神社の調査進んですねぇ~

 投稿者:じゅんこ  投稿日:2005年 7月23日(土)18時00分9秒
  国次先生、お疲れ様でした。いろいろ新しいことがわかってきて、こだい古代ファンさん、watanabeさんのお話ともからんで話がどんどん膨らんできますね。

せっかく仙台付近の伊豆山末社を教えていただきながら、今回はどちらも尋ねることができませんでした。志波姫神社の脇の高速道路は通ったのですが・・・。

仙台で作業ダイビングもやっているショップのオーナーガイドさんに宮城で沈んだ遺跡の話をきいたことはないか尋ねたところ、東北学院大学の土木工学の先生が仙台の七浜沖に津波で沈んだ神社があるはずでありその神社の工法に興味があるとのことで潜ったけどみつからなかったという話をしていましたが、詳細はさだかでありません。

乳頭温泉への行きがけに志波城柵跡の遺跡公園に寄りました。今は跡地に大門と櫓が復元されて公園となっているのですが、802年にアテルイが破れ、803年に志波城柵が建設されたとのことで、大和朝廷が最後に建設した最も大規模な城柵ですが、川沿いにつくったため、水害にあい10年で使われなくなり、この代わりにつくられた徳丹城柵はより小規模なものとなったとのことです。この辺にも伊豆山神社の末寺はあるのかなぁ・・・と思いつつ帰ってきました。
 

おみごとです (゚J゚)ノ

 投稿者:こだいファン  投稿日:2005年 7月23日(土)17時42分40秒
編集済
  >源頼朝より命じられ宮崎へ下向
>した土肥一族や伊東一族は走湯山の元をたどる形で伊豆山の神を祀ったと思われます。

なるほど!確かにそうでしょうね。
それに、「はりしゆ」→「八竜」も面白いです。
それにしても龍神・・・ですよね・・・

>阿多美と伊豆山、伊豆大神と瀬織津姫の関係も霧島連山周辺に有るようですよ(^^ゞ

うむ~ 瀬織津姫の謎が解けたら凄いです。
それにしても、九州・熊野・伊豆(富士山)の深い縁が隠され続けてきたように思います。
いつかは明らかになってほしいものです p(゚_゚)q

>日精と月精が出て来た事で益々伊豆大神/伊豆山神の内容が確信へ・・・。

どうゆうことなのでしょう、楽しみにしてます (^L^)/
.
 

こだいファン さん こんちです(^^)

 投稿者:H Kunitsuguメール  投稿日:2005年 7月21日(木)20時53分36秒
編集済
  銀鏡(しろみ)神社の夜神楽を見させて頂き、神主さんから説明を受けました。
今回は全てが偶然と言っても良いでしょうね~! しかし、源頼朝より命じられ宮崎へ下向
した土肥一族や伊東一族は走湯山の元をたどる形で伊豆山の神を祀ったと思われます。
が、その当時でも走湯(はしりゆ)と名乗っていたのでしょう。はしりゆが訛って八竜神社
として祀られています。

で、東(つま)霧島神社の祭神は伊豆山神社と似通っています。
阿多美と伊豆山、伊豆大神と瀬織津姫の関係も霧島連山周辺に有るようですよ(^^ゞ
そして、磐長姫を祀っている神社は岐阜市切通の伊豆神社にも・・・。

それからもう一つ、今月潜った時に石造りの構造物に太陽と月を見つけました。
日精と月精が出て来た事で益々伊豆大神/伊豆山神の内容が確信へ・・・。

http://www.izu.biz/pro-tecs/

 

おつかれさまでした('v')/

 投稿者:こだいファン  投稿日:2005年 7月21日(木)17時11分7秒
  國次さんおつかれさまでした p(゚v゚)q
寝台特急を使って22時間、飛行機では十分の一ぐらいなのですね。。。
講演が無事に終了してなによりです。
飲むのも夜神楽もおつかれさまでした (^m^)

銀鏡神社を探してみましたら、
『もともと龍房山をご神体としていた銀鏡神社は、このイワナガヒメの御鏡をご神体とし、イワナガヒメを祀っている。』とのことでした。
うむー、イワナガヒメゆかりの神社に行かれたのですか!

東霧島神社は、巨石(神石)の多い神社なのですね。
それに裂磐というのもあるそうで・・・
なんとこれは、カグツチ由来の神石なのですかぁー (゚O゚)/
(ちなみにσ( ;^^)「ほつまつたえ」はまだ積読(ツンドク)になってます<(_ _;)>)

國次さんの行かれたところはどちらも伊豆山神社と縁の深い所だと思います・・・フシギな話です。
「お見事!」と言いたいところです (^-^)”
それでは、ゆっくり休んでくださいませ。
 

イワクラ(磐座)学会行って来ました(^^)

 投稿者:H Kunitsuguメール  投稿日:2005年 7月20日(水)23時03分27秒
編集済
  宮崎は遠いですね~。寝台特急を乗り継いで22時間も掛かってしまいました。宮崎駅から
西都市行きバスに乗って西都原考古博物館へ。この周辺は円墳や前方後円墳などが300以
上も有り凄いの一言です。
で、帰りは飛行機で宮崎~熱海まで2時間30分位でした(^_^;)

結局、1日目の講演は見れず懇親会へ参加。更に飲んで終わり、2日目の2人目で自分の
講演に・・・。しかし、無事に終了して一安心。この日は夕食後に銀鏡神社の夜神楽を
見せて頂きました。この日も夜遅くまで飲んで就寝。

3日目はイワクラ(磐座)を見にバスで移動。高千穂や韓国岳の霧島連山の素晴らしさに
魅了されました。この時、途中立ち寄った東(つま)霧島神社も大変に良い神社でしたね。
イワクラ(磐座)の見方の説明も有って大変に勉強になりました。

http://www.izu.biz/pro-tecs/

 

第四回定例会了解しました

 投稿者:こだいファン  投稿日:2005年 7月16日(土)13時43分23秒
     私ごとですが、こちら半年続いたピンチからやっと脱出しはじめましたぁ(-。-;)
   なんとか体制の建て直しをしているところです (^u^;)/

さて今度の定例会こちらのトップページで了解しました↓
『7月24日(日曜日)午後1時より伊豆山神社参集殿にて第四回定例講演会を開催致します』
またうかがいます (^L^)/

>明治維新後の処理に問題が有ると思われます。

別当職の大谷氏の話、興味深いです。
未確認の話で恐縮ですけど、
熊野でも明治維新の排仏毀釈の時、当時別当職にあった九鬼氏の離反で、
熊野はかなり破壊されたと聞いたことがありましたけど、定かではありません m(_ _)m
ただ、九鬼氏(九鬼文書で知られてます)は、明治の富豪になったそうですからやはりそうなのかも???
もしそうだとしますと、伊豆山と熊野は歴史でもどこか似通っているのかもしれません・・・
熊野と伊豆山(関八州総鎮守)。
明治の新政府がなにを考えていたのか、イワズモガナというところでしょうか~

>三宅島、式根島、神津島、八丈島での追い込み漁は南方系の漁法で
>沖縄や奄美、ミクロネシア他の海士のスタイルで明らかに朝鮮渡来の海女とは違います。

さすがお見事です (^m^) 参考になります!
石神については、陸地からσ( ^^)考えますと、石神=イワクラと考えていましたけど、
もしかすると南方系の話から浮かび上がってくるの可能性もあるのかもしれませ~ん。
その時、写真の岩が関連していたら面白いですね・・・

それにしても國次さんの言うとおり、
伊豆山神社の謎を解いてこそ三島明神の謎も見えてくるのでしょう。
当初から伊豆山神社の龍神が気になっていましたけど、さらに気になって来ました。
ただ、、、日本の龍神の謎は果てしないので、マイってしまいますが (^u^;)/
 

こだいファンさん こんばんは

 投稿者:H Kunitsuguメール  投稿日:2005年 7月 8日(金)20時04分51秒
編集済
  三島神社は確かに古い社格と思いますが、明治維新後の処理に問題が有ると思われます。
と言いますのも最初、三宅島に鎮座したとする云われと、白浜に鎮座したとされる部分に
合点が行かないのです。伊豆山神社は元走湯権現の時代、別当職で有った大谷氏が伊豆山
神社より三島明神を大事として大社へ格上げの工作をし、伊豆山に有った文献や大事な
物を持ち出して格上げしたとされます。三宅島の御笏神社の由来が本当で有ったなら、
南方系の島民で有ったと思われ、南伊豆との関係が浮かび上がります。三宅島、式根島、
神津島、八丈島での追い込み漁は南方系の漁法で沖縄や奄美、ミクロネシア他の海士の
スタイルで明らかに朝鮮渡来の海女とは違います。伊豆山神社(はしりゆ)の祭神の謎を
解いてこそ三島明神の謎も浮き出て来るものと思いますね。仮に石神が有ったとすると、
既に陸上には祀っていませんので、有れば海底に残っているかも・・・。
昨日、熱海で見つかった物ですが、シャコガイの様にも見えますし、石神の足の様にも
見えますがほんとは何でしょうね(^_^;)

http://www.izu.biz/pro-tecs/

 

(無題)

 投稿者:こだいファン  投稿日:2005年 7月 8日(金)17時24分8秒
編集済
  >やっとイワクラ学会の論文も終わり、最近は朝鮮渡来の吉志族を調べています。

國次さん、イワクラ学会での発表なのですね~♪
論文が終わったということは、これから九州へ・・・?
なんにしても、がんばってくださーい (^J^)/

watanabe さんは、三宅島でダイビングしているのですか!
(若い頃、スもぐりしていたらウツボと対面してしまった時のことを思い出しました・・・怖かったぁ)
それから、御笏神社の話が面白いです (゚O゚)/

三宅島の御笏神社は「おしゃく」とよむのですね。
以前から気になっているページの、延喜式神名帳の「伊豆國92座 大5小87」によりますと、
かなり由緒のある神社のようでした。
   伊豆國92座 大5小87
   → http://kamnavi.jp/en/izu.htm

佐伎多麻比命神社[サキタマヒメノ・]
御笏神社[おしゃく]「佐伎多麻比命」先史時代の石神[しゃくしん]であるとされる。東京都三宅村大字神着


ちなみに、伊賀牟比賣命神社[イカムヒメノ・]を見ますと、
「三宅島の先住民が奉斎していた石神が侵入民が自らの神としてその居住地に遷座した」とありますので、
先住民の石神一族は、事代主一族と合流したと考えてもよさそうな気がしました。
それから御笏神社[おしゃく]に合祀された神様が四柱もおられました。
波夜志命神社[ハヤシノ・]、片菅命神社[カタスカノ・]、加弥命神社[カミノ・]、南子神社[ミナミコ]
・・・まるでわかりませんけど、御笏神社は重要な神社のようです。

以前から気になっているのですけど、
伊古奈比命神社[イコナヒメノ・](名神大)の参拝のしおりが紹介されてますので、全文引用してみます。

伊古奈比命神社の御祭神の三島大神(別名事代主神)は、その昔(今から二千年以上も昔のことです。)南のほうから海を渡ってこの伊豆にやって来ました。伊豆でも特にこの白浜に着かれたのは、この白砂の浜があまりにも美しかったからです。
そして白浜に着いた三島大神は、この伊豆の地主であった富士山の神様に会って伊豆の土地を譲っていただきました。さらに、三島大神は伊豆の土地が狭かったため、お供の見目の神様、若宮の神様、剣の御子と、伊豆の竜神、海神、雷神の助けをかりて、島焼きつまり島造りを始めました。
最初に1日1晩で小さな島をつくりました。初めの島なので初島と名付けました。次に、神々が集まって相談する島神集島(現在の神津島)、次に大きな島の大島、次に海の塩を盛って白くつくった新島、次にお供の見目、若宮、剣の御子の家をつくる島、三宅島、次に三島大神の蔵を置くための御蔵島、次に沖の方に沖の島、次に小さな小島、次に天狗の鼻のような王鼻島、最後に10番目の島、十島(現在の利島)をつくりました。


これから思えるのは、
三宅島には初め、見目、若宮、剣の御子がお住みになって、
そこにいた先住民の複数の石神[しゃくしん]をお祭りし、
その神々が、のちに御笏神社[おしゃく]に集約したという構図です。
・・・ということは、三宅島の先住民も、かなり高度な海洋技術をもっていて、
両部族の合流があったと考えてもイイヨウナきがしますけど、いかがなものでしょ~う。

ちなみに、「伊豆の竜神、海神、雷神の助け」とありますけど、
これはまさに熱海の2色の竜や、伊豆山神社の雷電神社を雷神としますと、
あとは、國次さんの研究で明らかになって来ている海洋の拠点としての熱海に、
もともと海神がおられるとすればですが、「竜神、海神、雷神」が熱海に揃い踏みですね~
伊豆山(熱海)がまさにその拠点だったように思えます。
watanabe さんのお指摘↓は、僕にとっては図星☆におもえますぅ(^m^)

>入り口が伊豆山の方を向いています。まるで伊豆山と対面のようです。 不思議ですが富士山の方は向いていません。

まだよくわかりませんけど、
でも、ズゴイですねぇー (゚J゚)ノ

ところで個人的には、「伊豆の地主であった富士山の神様」の一行が驚きで、
まさに!僕の推論を裏付けるのですけどぉ。。。また、考えてみます m(-o-)m

それでは皆さん、夏の海で泳ぎまくってくださーい (゚u゚)/
 

水深は、

 投稿者:watanabe  投稿日:2005年 7月 5日(火)19時59分2秒
  岸に近い方が3mぐらいで、深いところが18mぐらいです。ゆっくり深くなっています。同じものですが、上から見ると三角形の形かも知れないです。
御笏神社は、少し北からずれているかも知れませんが、それでもおおむね湘南方向です。
 

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