teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


雁坂トンネル利用ですか?

 投稿者:うさぎ  投稿日:2005年 9月 9日(金)01時04分10秒
  わたなべさん、今晩は~♪ 峠マニアのうさぎです(^^ゞ
秩父、今宮神社のご紹介、ありがとうございました。役の小角にご興味が有るのですね。

>山梨周りで行ってみます。
ってことは・・・あの日本武尊も越えたとか言う日本三大峠の一つである「雁坂峠」
越え、もとい、雁坂有料トンネル通過でしょうか? 実は私、「有料」の為に未だ通過
したことがないのです^_^; 甲武信岳を徒歩で越えるのは体力勝負ですから、
車で通過できるようになったことは凄いと思います。秩父往還(R140)とか雁坂峠には
とってーもソソラレルます。是非ぜーひ通過した暁にはご感想を発表してくださいませ。

わたなべさんは登山もされる方なのですか?それとも神社巡りの為の山岳ドライブ??
私は残念ながら歴史は全くわかりません、疎さの極地です(>_<) アタマが痛くなるし。
私にとって興味が有るのは、地形や生活などの地理的なこと&山岳景観そのものです。
#なぁーんちゃって、沼田→金精峠のR120で先月自爆して以来自粛の禊中につき、
下道専門且つ道の駅で仮眠の日帰り貧乏ドライブからは取りあえず足を洗いました(~_~;)
かといって体力ゼロ!なので足で稼ぐこともできないし、ネットで見ていると行きたい虫
が蠢き始めるし、困ったものです、、。 『どこでもドア』が欲しい~~~!

話は戻りまして、R140雁坂トンネルは、秩父~山梨県三富村を結んでおります。
三富村は、私も登ったことの有るハイキングで有名な乾徳山登山口にあたります。
http://www.geocities.co.jp/Outdoors-River/5390/kentoku/kentoku.html
尚、私が三富村に行ったのはかれこれ25年以上前ですが(汗;)、
気持ちの良い草原に何故かスイス国旗がはためき、羊の群が草を食んでおりました。

西沢渓谷の景勝と山菜料理の昼食も素晴しいです、三富村(^^)v
またまた脱線すみません。うさぎ的独断に満ち溢れた山梨観光ガイドでした・・・

ところで、、、千葉の野島崎灯台?一昨年行きましたが、あそこは地質学的にも価値の
有る場所らしいですネ。地層の説明が有りましたし。
柴又帝釈天の分社が洲崎灯台のところに有るのですか?(帝釈天は私のお散歩コース)
洲崎灯台というと・・・ダイバーとしては故マイヨール氏の日本の親友がやっておられる
ダイビングサービスのイメージしか有りませんでした、私(^^ゞ
そのサービス脇の小道を下っていくと、プライベートビーチ的な静かな入り江に出ます。
#どーでも良いけれど、マイヨール氏と國次さんはCMAS世界大会(名古屋)で
一緒に飲んだくれた仲なのだそうです。←國次さんは幹事?主催者側?ホスト?ね♪
 
 

登山ですが、

 投稿者:watanabe  投稿日:2005年 9月 8日(木)20時16分43秒
  まだ行っていないので、インターネットで調べてからです。
秩父、今宮神社にも役の小角があるそうです。
http://homepage2.nifty.com/imamiya/index.htm
山梨周りで行ってみます。

三峰神社の碑が、千葉の野島崎灯台の入り口にありました。
柴又帝釈天の分社が州崎灯台の所にあります。
何気にあるので、気にしないで通過するところでした。

秩父神社を中心に、三峰神社、子の権現、、宝登山神社と簡単ではありますが、
地図で見ると三方になって道導の役目をしてるようです。
 

宝登山神社・補足・・・

 投稿者:うさぎ  投稿日:2005年 9月 8日(木)08時42分48秒
  うさぎ的秩父観光ガイドに続いてしょうも無いお話を一つ・・・

宝登山神社には日本武尊が祭られています。私は今年行くまでは、イザナミ・イザナギ
かと勝手に思い込んでおりました。理由は、「ホト」からの推測(これ以上書けず・・)
ところが、ヤマトタケルが山に登る途中、山火事を止めた=火止め だった、でした。
 

三峯神社・賓登山神社

 投稿者:うさぎ  投稿日:2005年 9月 8日(木)08時31分52秒
  わたなべさん、おはよーございますっ! 埼玉の山中にまで行き着きましたか(^^♪

三峰神社:>わりと近いので日帰りが可能と思います。
私ごとで恐縮ですが、私が初めて初めて登った冬山が「雲取山」で、三峰山→雲取山縦走
コースを取りました。その際、三峰神社宿坊に前泊させていただいたのです。
雪の日に狛犬ならぬ狼にお出迎えされ、狼ね~やはりここは山なのだ、と実感しました。
神社まではロープウエーを利用したので、楽チン(^^)v
三峰神社は趣が有って素晴しいところです。景色も良いですし、ね♪
修験道には格好の場所かもしれません。奥秩父の入り口に位置しますから。
尚、飯能の「伊豆が岳(子の権現)」と三峰神社は距離的に離れておりますが、
車ならば日帰りで両方訪ねることも十分可能です。

山の深さを実感してみたいなら、三峰神社→大滝村→中津川林道→三国峠→信州の高原
をお薦めいたします。但し、中津川林道→三国峠は小石攻撃で車体が傷ついたり、
道幅も狭くガードレールの無い場所が有ったり、台風の後は通れなかったり(倒木有り)
で、事前確認が必要なコース。それでも徒歩で山越えをするのに比べれば遙かに楽です。
私は昨年車でチャレンジしました。二度とやりたくはないですけれど(^^ゞ
☆是非一度このコースを辿ってみて下さいませ。古の人々の息遣いが聞えるかも・・・
(昔の人が三峰~戸隠に行くには、奥秩父の山を越えなければなりませんから)

宝登山神社:今年行きました。人気高い。モタモタしていると駐車場が満杯になります。
時間&その気が有るならば歩いて上に登り、ご自慢の植物を見ることが可能です。
その気は無くてもお金が有れば、ロープウエーで上まで登れます。
ちなみに、私はその気も時間もお金も無かったので(笑)上までは行きませんでした^_^;

宝登山神社と伊豆が岳の子の権現を組み合わせて両方見ることも時間的に可能です。
以上、うさぎ的秩父観光ガイド(独断に溢れた神社巡り)でした。
 

補足

 投稿者:watanabe  投稿日:2005年 9月 7日(水)21時59分57秒
  三峯神社
http://www.mitsuminejinja.or.jp/saijin/index.htm
祭神が伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと )
字が古いです。
賓登山神社
http://www.hodosan-jinja.or.jp/gaiyou/index.htm
祭神がホムスビノミコト、大山祇神、神日本磐余彦尊~かんやまといわれひこのみことになっています。
共通点がオオカミです。同じ系統の神社のようです。面白そうです。
 

役の小角について

 投稿者:watanabe  投稿日:2005年 9月 7日(水)21時40分6秒
  ホームページで調べていると三峰神社と伊豆を行ききしていたと三峰神社のホームページにはあります。「伊豆」と紹介されていますが、「伊豆山」とは書いていないです。
「伊豆山」と読み取るのが普通と思います。
修験道の始まりと書いてありますが、めぐりめぐって戸隠にまで伝わったと推測できます。
名前の足立権現はでていないです。
修験道は伊豆から山々に広がったという事なのでしょうか。
わりと近いので日帰りが可能と思います。
 

こだいファンさん、今晩は♪

 投稿者:うさぎメール  投稿日:2005年 9月 6日(火)20時03分6秒
  >鎧兜姿の先祖の霊?の話も面白いです(^m^)

霊の姿?は未だにはっきりと憶えておりますが、家紋などの記憶は有りません。
ただ、眼光の鋭さ、そして草鞋?も脱がずに図々しく上がってきた姿には驚きでした。
中学の期末考査期間中の深夜だった為に、翌朝母からは「勉強したくないので出鱈目を
言ってるんでしょっ!」と妹共々怒られましたが、武者が消え去った部屋には関が原で
実際に使用されたという槍が有り、父がそれを降ろして穂先を見せてくれました、、。

>ちなみに、昔は子供の神様の神力が強いと考えられたみたいです。
>幼女の姿をした何者か、、、神様だったのかもしれませんね~

何でしょうね、実際にアレは。。。父は無神論・無宗教なので(一応浄土真宗だけど)、
「日本の神様ってニューギニアの原住民と一緒だよ、部族の酋長みたいなもの、
エッチだし!」なんて失礼なこと(?)をお酒が入るとのたもうておりますけれど、、。

ま、私としては愚息の一生を救っていただいたので、先祖の霊or守護霊と信じています。
私、冬の八ヶ岳赤岳山頂直下で臨死体験もしていますし、ね <しぶとい生命力(爆!)

とまぁオカルトチックな逸話はこのくらいにして・・・

>ところで、後北条氏配下の松田康長が風間一族を束ねていたのでしょうか・・・??
>関東一円を風間一族が闊歩していたということでしたら、
>もしかしたら、うさぎさんのご先祖様も関係していたのかもしれませんねぇ (^^?ゞ

私の先祖は播磨の国、黒田氏一族に繋がる者です。関が原で豊臣方につき、敗退(-_-;)
東北にも落ちていった一族がおります。山形だったかしら、うろ覚えですが、、。
時々何故か目の色の違う人間が生まれます。私の祖父はグレーの瞳にドイツ人的な鼻で
肌の色は透き通るような白に近いピンク、ペルシャ風のグリーンやヘーゼルの瞳に
透き通る白い肌の遠縁の女性もおります。
愚息は赤ちゃんの頃は祖父似の白に近いピンクの肌にストロベリーブロンドの髪でした。
(現在は、典型的黄色人種そのもの!の風貌です・笑)
私は母方の血が濃いのか、低い鼻に凹凸の無い平面的な輪郭なんですけれど。残念っ(>_<)

すみません、またまた脱線してしまいました。。。
 

台風が大変ですねぇ

 投稿者:こだいファン  投稿日:2005年 9月 6日(火)16時37分46秒
  こちらは台風11号の後片付けが、今頃やっと終盤戦ですぅ、、(o_ _)o
ところで、國次さん、スサノオと櫛稲田姫が祀られているとは驚きました~!

>他の神社では見られないものとしています。
>はしりゆ(走湯)神社・権現では出雲の神を祀り、伊豆神社や伊豆権現では天孫と神阿多を
>、伊豆山神社は両方の神をバランス良く祀っています。

普通に考えるとフシギに見えますけど、
始めにアメノオシホミミノミコトを祀った拠点だったとしたら、、、うなずける様な気もするのですが・・・
それにしても凄いですね~

じゅんこさん、歴史の研究進んでいるようですね(^J^)/
瀬織津姫も印象的ですけど、
ちょうどσ( ^^)東北の、さらなる古代が気になっているところでした。
・・・長髄彦によって、東北の命運が左右されたのではないかと思えて来ました。
東北の歴史ももっと明らかになるといいですね。

うさぎさん『胡麻を練り込んで作ったピンポン玉くらいの大きさ』の話面白いですね。
「船舶遭難用緊急食料?」にも胡麻が練り込まれていたとは・・・
鎧兜姿の先祖の霊?の話も面白いです(^m^)
ちなみに、昔は子供の神様の神力が強いと考えられたみたいです。
伊豆山雷電神社の由来の一つに八大金剛童子の説がありますけど、
これも「童子」に強い神力を意味しているのではないかも思っているのです。
・・山城新吾の白馬童子もこの系統かぁも? (・_*)☆\ばき
幼女の姿をした何者か、、、神様だったのかもしれませんね~

watanabeさん、色々活動されているようでうらやましいです (゚u゚)/

>小次郎の首塚が御祭神社の近くにあります。佐々木小次郎?でしょうか、

三宅島と小次郎を検索しましたら、幕末の侠客小金井小次郎の話がありました。
   武蔵小金井~国分寺のウォーキング
   http://www.geocities.jp/nanapiko9/musashikokubunji.html
   西念寺・小金井小次郎の墓
   (独力で三宅島に渡り治水事業を行ったそうです)

ところで、後北条氏配下の松田康長が風間一族を束ねていたのでしょうか・・・??
関東一円を風間一族が闊歩していたということでしたら、
もしかしたら、うさぎさんのご先祖様も関係していたのかもしれませんねぇ (^^?ゞ
 

忍者

 投稿者:watanabe  投稿日:2005年 9月 2日(金)22時57分36秒
  は武器がメインで展示しています。運ぶとなると相当体力が要ります。鉄製がほとんど見たいですが、ドラマのようにはいかないでしょう。
風間一族は神奈川とあります。資料館があればいいのですが、

有名な山には神社が必ずあるので、信仰のある山から調べるようかと、
海は三宅島を再度挑戦してきます。
小次郎の首塚が御祭神社の近くにあります。佐々木小次郎?でしょうか、
入り口は故郷のほうを向いているのかも、伊豆方向です。
三宅島も地震で移動があるので、方向は多少ずれいます。
国土省に三宅島の立体図があります。これを利用して何かできればいいかも知れません。
http://www.gsi.go.jp/WNEW/LATEST/MIYAKE/map/miyake1.jpg
 

RE:忍者の発祥?

 投稿者:うさぎメール  投稿日:2005年 9月 1日(木)20時18分45秒
  こだいファンさん・わたなべさん、今晩は♪

>忍者と密教(山岳信仰)が近いと思いますし
>「峠」が好きなのも血筋なのかもしれないですね☆ミ

以前高野山修行僧の一日をテレビで見ましたが、彼らは山中の獣道もどきを毎日風の如く
疾走するようです。まさに忍者の走りそのものかもしれません。。。

父は先祖(大正生まれの自分の祖父)の持っていた忍者の行動食を見たことも有るそう。
胡麻を練り込んで作ったピンポン玉くらいの大きさの丸薬のようなもの、だったとか。
それで思い出したのが、私が25年ほど前登山の際に携行していた非常食。
山の店で「船舶遭難用緊急食料」(的なネーミングだった)を購入して(現在は美味し
そうな宇宙食も多いみたいですけれど・笑)山での昼食代わりとしても食べていました。
正方形のゼリー状の食べ物で、胡麻が練り込まれていて、水が無くても喉を通ります。

「峠」ですが、「私はドライブはしません」という一筆をダンナに書かされました(^^ゞ
当分は・・・禊期間が終わるまでは?峠越えドライブは行けないですね、、。

>うむ~、文化遺産!がザンネンでしたぁ。。。

文書は何か掟が有ったのかもしれません、、。でも、未だ実家には戦国時代の武器諸々が
残っております。特に忍者用、というワケではございませんけれど。
私も中学時代に数回先祖の霊?に遭遇したことは有ります。鎧兜姿でしたけれど、ね。
私の能力は愚息の為に使い果たしてしまい、現在はそのような力は皆無!です。。。
(愚息は現代医学から見放された赤ちゃんでした。彼を道連れにしての「死」を
決意した時、幼女の姿をした何者かが現れ、奇跡が訪れたのです。
通院していた大学病院では腰を抜かさんばかりの驚きようでしたけれど、ね~)

おっと脱線してしまいましたm(__)m
父に詳しく聞いたところ、「金光山」は通称?で、正しくは「揺照山」とのこと。
ウラン鉱石の出る場所で、ラジウム鉱泉も有り、戦時中は大日本帝国陸軍がウラン鉱石を
掘っていたそうです。もちろん、秘密裡に。
でも製造技術が無い為に、原爆製造には至らなかった、とのこと。

海底遺跡からはずれてしまい、すみません・・・
 

お久しぶりです・・・

 投稿者:じゅんこ  投稿日:2005年 8月30日(火)15時19分29秒
  久しぶりに月例講演会に参加して、いただいた伊豆山神社末社リストも祭神関係図をながめて東北ドライブの道草に役立てようと思っているところです。こだいファンさんに瀬織津姫について教えていただいて(一ヶ月も前の話になりますが・・・)お礼もいっていないのを気にしてたのですが、オートバイのトラブルのせいでおみえにならなかったとは。でもご本人が無事でなによりです。荒雄川神社は鬼首の温泉やゴルフにへ行く途中何回も前を通り過ぎてますが、そういう神社だったのですか・・・。

ところで、熱海の帰りに歴史学者の網野善一さんと考古学者の森浩一さんの対談「この国のすがたと歴史」(朝日新聞社)を読んでいたら、網野さんが中世は各地に所領をもつ御家人等が本拠地との交流があったという話から「走湯山は土佐に荘園をもっている。」と言っていました。頼朝の挙兵に呼応して挙兵しようとした弟の稀義が土佐で兵士に殺され、その墓所をつくった僧侶が走湯山との関係があり、墓所の件で鎌倉と土佐を船で往復しているのだそうです。走湯山の勢力は土佐にまで及んでいたのですね。
 

こんにちは~(^^)

 投稿者:H Kunitsuguメール  投稿日:2005年 8月29日(月)18時26分2秒
編集済
  こだいファンさん 先日のオートバイのトラブルは大変でしたね~!

さて、第五回の講演会では伊豆山神社の祭神を紐解きました。
私自身もへ~っと関心致しましたが、中々面白い結果が現れました。
つまり、天孫族系+神阿多族系と出雲族系の関係が浮上し、天照大神とスサノオとの関係
が微妙な部分が分りました。スサノオが櫛稲田姫と結び付いて出雲神族の祖神となってい
ますが伊豆山神社は両方ともきちっと祀っていますので・・・!
他の神社では見られないものとしています。
はしりゆ(走湯)神社・権現では出雲の神を祀り、伊豆神社や伊豆権現では天孫と神阿多を
、伊豆山神社は両方の神をバランス良く祀っています。

http://www.izu.biz/pro-tecs/

 

忍者の発祥?

 投稿者:こだいファン  投稿日:2005年 8月29日(月)17時25分43秒
  残念ながら、定例会はバイクの故障で行けませんでした(m_m)
27日の当日、熱海峠を熱海に下ろうとしたその時に『プッ』と小さな音がして、
それっきりバイクが走らなくなってしましましたぁ・・・
4万キロ以上も走っていますから、たまには仕方ないでしょうか・・・(・_;)ヾ(^^ )

watanabe さん結構お調べになってますね。
神奈川は風魔忍法!(小説・アニメでおなじみの・・?)ですか~

>「戸隠神社」は飯綱神社と関係が深いようです。

愛鷹山にも飯綱神社がありますけど、飯綱使いの話もあったみたいです。
忍法には、密教だけではなく古来の鬼道なども習合しているみたいですね。
奥が深かったような気がしてきました。

うさぎさん、なんと!忍者の末裔なのですネぇー!
お話面白かったです(゚J゚)ノ
忍者と密教(山岳信仰)が近いと思いますし
「峠」が好きなのも血筋なのかもしれないですね☆ミ

>文書も現物が無くなったので父が処分しました。
>一見漢文風なのですが、所々朱で不思議な記号を入れてあり、

これは漢字をつかった暗号だったのでしょう。
忍法の流派ごとに文字があったのでしょうけど、
うむ~、文化遺産!がザンネンでしたぁ。。。

>静岡には忍者がいなかったようです。

watanabe さん、忍者関係の話がないワケではないのですが、、、(^u^)/
忍者のルーツの一説になるのかもしれません。
   探求 幻の富士古文献
   http://www.hachiman.com/books/85765-526-6.html
しばらく余裕がなかったのですけど、なんとか時間がとれましたので、
この本の319頁からタイプしてみます。

「第十一章 鎌倉幕府と古文書保管の宮下家」より引用 ********************

元応二申年(一三二〇)八月二日、義兄、富士宮下右近亮義忠病死致すに付き、富士宮下右近亮義高と相成り、義兄の家嫡(後継)となり、以後富士十二郷の大地頭並びに富士総神社の大宮司の両職勤め居り。
建武二年(一三三四)春、楠木正成は秘密に二条大納言為定郷と相談の上、密かに夜舟にて、興良親王を富士山小室城の宮下の館に送り来るによって、長子、三浦左京亮義勝と密談の上、東宇津峰城、南の館に密かに移し給う。


東宇津峰城、南の館の場所は、山梨県南都留郡忍野村(おしのむら)忍草(しぼくさ)にして、富士山麓の西と北に宇津峰城の館を置き、敵に居る場所を発見されぬよう、孫子の兵法を実践に行う最初の人。
後世、狐と狸は人を化かす、という田貫の殿様、忍者の起こりとなる。

同年八月七日、護良親王の御首級を近臣の松木宗忠持ち来るに付き、長子、左京亮義勝と密談の上、富士山元宮小室浅間神社の内宮に納めかくし奉り、それより長子左京亮義勝と密談の上、密計のため、同十一月二十七日、地頭と宮司の両職は、長子の左京亮義勝に譲り、東宇津峰山南城の館に閑居し、興良親王を秘密に守護奉の居り、親王を慰めの為館の前に田を作り、宇津野田貫二郎と変名し、諸国に密計をめぐらし居り、正平十八年(一三六三)九月九日、宗良親王より、正三位下を賜るなり。

**************************************** 以上

うわぁ~、タイプ、ツカレタ、、、('~`;)
まぁ忍者の起源になるかどうかわかりませんけど面白い話だと思います。

南北朝時代、富士の勢力が南朝に味方してやがて滅んでいくのですが、
その時のリーダーの宮下右近亮義高が、宇津野田貫二郎と変名して諸国に密計をめぐらしていたそうです。
その田貫の殿様の居る場所が、忍野村(おしのむら)の忍草(しぼくさ)ですので、
もしかすると「忍びの者」という呼び方はここから来ているの、かも、しれません ('v')/
 

忍者

 投稿者:watanabe  投稿日:2005年 8月22日(月)21時11分3秒
  忍者でも数にはかなわないようです。伊賀まで逃げるはめになったとは、平家との戦はすごい戦と思います。静岡には忍者がいなかったようです。資料が少ないので、見つけるのが大変そう。
源義経が鞍馬山で修行したと本には書いてあります弁慶と戦うぐらいですから秘密はあったのかも知れません。
変装もできないと関所が通れないので、変装して海まで来たのは本当かも?
 

伊勢海老

 投稿者:うさぎ  投稿日:2005年 8月21日(日)10時59分47秒
  watanabeさん、お久しぶりでございます。活発に活動&潜っておられるのですね(^^♪

伊勢海老は夜行性なので、熱海でも横磯港で夜潜ると、浅いところにウジャウジャと。
総体的な数は妻良と比較してどうなのかはわかりません。コントロール?しているのかも
しれませんし、、。

忍者とはおもしろいところに目を付けられたのですネ~
私の父方に忍者の末裔がいたそうです。大正末期生まれの父は、故郷岡山県コンコウ山で忍法訓練を見たとか。自宅には先祖から受け継がれてきた傷薬と、その製造法を記した文書も有りました。秘伝の薬だったのですが、25年ほど前に私が丹沢沢登り中に滝で怪我してその手当てで使い果たしてしまい、文書も現物が無くなったので父が処分しました。
一見漢文風なのですが、所々朱で不思議な記号を入れてあり、漢文好きの父も解読できなかった、とのこと。(朱の書き込み部分が一種の暗号になっていのか・・・)

秘薬の作り方は、コンコウ山山中に自生する植物&植物の根を採取して細かく砕き、
さらに土or鉱物も混ぜていたのかもしれない、と父は申しておりました。
調剤中は部屋に誰も寄せ付けず、直系の長子である父にすら覗き見を許さなかったとか。

本来ならば原材料調達~製法に至るまで一子相伝で長子に伝えるのが筋なのですが、
父は国内生まれでない&学校の休暇で帰国中の出来事だったので、故郷に骨を埋める意思
の無い者にノウハウを伝えることはできない、と、そのご先祖は判断したのかも、です。

おまけに貴重な薬は私のドジの治療で使い果たしてしまいましたし、今思うに残念です。
 

忍者文字

 投稿者:watanabe  投稿日:2005年 8月19日(金)23時09分24秒
  忍者文字はありました。閉館前にいったので、さっと見てきました。流派が多くて神奈川は風魔忍法のようです。
「戸隠神社」は飯綱神社と関係が深いようです。
戸隠村なので関係は深いと思います。
戸隠は神社よりお寺の要素が強いと思います。
方角の件は失礼しました。

昨日は、三重で再度潜ったのですが、流れが速く確認できませんでした。
甲賀城跡が近くにありました。甲賀忍者の地とは別の場所ですが。
城跡が民家になっていますので、重要視されていないみたいです。
今はうにの時期です。三重の甲賀には伊勢海老がいるので、海老の関係で伊豆に移住したとかあればいいのですが、
伊豆では妻良が伊勢海老祭りを毎年行っていますが、移住先としては適しているのでしょうか、伊勢海老が多い地域です。
 

タボー中ですm(_"_;)m

 投稿者:こだいファン  投稿日:2005年 8月19日(金)14時23分12秒
編集済
  またまた多忙で無沙汰してますぅ m(_"_)m

>関東、伊豆七島、静岡の神社を線で結ぶと何かの形になるのか、最近は方角が気になって
>何か出てくれば面白いのですが、なかなか困難です。

watanabe さんわかりました (^J^)/
・・と思って、自分の地図ソフトでしばらく探してみたのですけど、
このソフトは詳しすぎて(?)、どうも上手く行きませんでした。
それに二等辺三角形しか調べられないみたい (o_ _)oコテッ
また、方角も含めて探してみたいと思います。
それから初島にも行かれたのですね。
何年か前にσ( ^^)も、初島で岩を調べたことがありました。(成果は無かったですが)
初島写真集 ⇒ http://shizuoka.cool.ne.jp/izu22/syasin/hatu0112/

>多少は美化していますが、ここでの伊豆山彦は一度しか姿を現しませんし、臣鹿島の系統
>である初木姫に逢い、童子の乳母となる過程にも伊豆山と鹿島の立場関係を表すかも
>知れません。

國次さんのお話で、伊豆山と鹿島の繋がりにも興味を持ちましたけど、
そういえば、初島やその周辺では「鹿島踊り」が今でも盛んです。
九州から熱海、鹿島への繋がりが分かるとイイいですね。
しかし、初木姫様のことは走湯山秘訣などの文献を読めるようにならないと、
なかなかイメージがわかないのでしょう・・・ (-。-;)
   国文学解釈と鑑賞-「走湯山の縁起・鴨志田美香」によりますと、
   走湯山秘訣に、巫女初木らの浄土廻りの場面や、
   巫女初木の前に湯の中から月光童子(雷電権現)が
   金亀に乗って登場す場面があるそうです。
それにしても伊豆山彦の話はさらに少ないのでしょうか・・・?

watanabe さん「戸隠神社」では忍者が活躍していたのですか!
伊賀の里の博物館に行ったことがありましたけど、
忍者文字というのがありました。写真をアップします。(いわゆる古代文字のバリエーションでした)
「秘密の連絡方法」とは、忍者文字だったのかもしれませんね。。。


   ★彡★彡★彡


八代新一さん、ホームページを少し(^^ゞ拝見しました
     神武 ⇒ 熊襲勢(武内宿禰族)景行「タラシ王統」
     ⇒ 「八幡神」:応神「ワケ王朝」
こんな流れを想定されているのですかぁ!
源氏の神は八幡大菩薩(応神=誉田天皇・大自在菩薩)ですけど、
色々と、、『さもありなん』という感じがしてきました。
伊豆山では、σ( ^^)まだ八幡大菩薩ことは聞いたことがないのですけど、
でも、伊豆の軽野(枯野)船の時には神功皇后・武内宿禰と連携したような気がしますし、
それに、頼朝以来、歴代幕府の神社ですので(関八州総鎮守)、
縁が深いのかもしれませ~ん。

それにしても、隠された歴史・部族・王朝は多いですねぇ(-。-;)
こちら富士・伊豆も含めて、
多くの隠された事実が生き生きと復活して欲しいものです(^L^)/
                              .
 

活発に動き回っていますね!

 投稿者:H Kunitsuguメール  投稿日:2005年 8月15日(月)17時50分7秒
  watanabeさん こんにちは

戸隠神社も結構に古い神社ですね。修験信仰の盛んな場所で、平安時代には修験者が多く
参っていた様です。戸隠権現と善光寺は大変に有名ですが、走湯山と善光寺の神(仏?)は
同じともされている話も有りますね。太平洋側から長野に入る為には駿河湾の富士から
三島辺りから富士山の縁を通って行くコースと、相模湾は大磯周辺から甲府、大月辺りを
通って長野に入るルートですかね! この様な重要なルート上に漢人と吉士族が絡んでい
ます。絹の道、塩の道、陶器の道でしょうか!

http://www.izu.biz/pro-tecs/

 

戸隠神社と資料館

 投稿者:watanabe  投稿日:2005年 8月14日(日)22時22分46秒
  土曜日に戸隠神社奥社、中社、宝光社と行ってきました。
奥社の参道は1900mありました、
奥社には、植物園があります、南洋系、北洋系の植物園ができるまで運んだのでしょうか。時間の都合で見れませんでした。
奥社の小さな滝には八水神が祭ってあります。
資料館に役の小角が穀物の神様と対でありました。農業系の守り神のようですから、伊豆にくると片方だけになるのでしょうか。米を大量に伊豆に運んだと考えられますが、
帽子をかぶった石仏とか、仁王像など宗派関係なくありました。
忍者の道具、農耕具などたくさんあります。
火薬、薬草の瓶、ヌンチャク、鎌槍など沖縄中国風の道具までありました。
道具、危険物、材料の仕入れ、取引、移動方法は植物の下に隠して港から運搬する方法でしょうか、熊、狼、山賊、平家と狙われるので、忍者が変装しないと運べないと思います。今でも夜の道は真っ暗です。
戸隠大助と飯綱明神の社司の同族の仁科家、信濃源氏木曽義仲と源頼朝公と秘密の連絡方法で船の入港日を知っていたと思うのですが、
港は南側ですと熱海か、伊豆山あたりが一番近く、船の監視見張り役が源頼朝公で長野まで運んで、源氏再興の為に財を蓄えたのでしょうか、
忍者は伊豆まで戦の指導に来ていたとも考えられます、
 

八代様 こんにちは

 投稿者:H Kunitsuguメール  投稿日:2005年 8月 9日(火)16時57分15秒
編集済
  阿多隼人の末裔ですか? 素晴らしい!

>この間の「真鶴港」の「(きふね)貴舟」転覆の事件も、出雲の美保神社で執り行われ、記・紀に記される「青柴垣神事」で、元々、舟は転覆させるのが正しい祭のありようだったと思った次第でした。
-----------------------------
出雲の美保神社伝承ですか・・・。転覆させるのは海人の舟戦(ふないくさ)の常道ですよね! また、潜りの上手さを使って、海の中に引きずり込むのも常道策ですから、河童の仕業になっても仕方有りません。
矢代様の本も一度購入して読もうと思います。

「地歴関連のホーム掲示板」ですか? 有りましたら、ご報告致します。

隼人については相当に古くより全国に分布していた様ですが、弥生時代より淘汰されていった様ですね。「はや」「やえ/八重」等の言葉は隼人族の関係とされますので全国的に広がっています。
>それと、全国的な「阿多の地名分布図」のことは、小生のホームページでも参考資料として取り上げさせていただきましたが、その件お許しください。
-------------------
いえいえ、取り敢えず調べたまでですので、最新版も提供致しますよ。

今後とも宜しくお願い申し上げます。

http://www.izu.biz/pro-tecs/

 

レンタル掲示板
/11